私が東洋空想新報の編集長見習いという立場で一時期記事を書いていたということをご存じであろうか。この記事では、「編集長見習い」という立場においてどのようなことを行っていたのか、そして笹かま氏はどのようなことをしていたのかということについて語る。
まずどのようにしてポストを得たかだ。私が笹かま氏含む複数人の雑談の流れで「いずれメディア継いでもいいかな」と発言したところ、あれよあれよという間に編集長見習いという肩書きがついていた。(さきほど挙げた画像)「編集長見習い」ということなので、実務面での指導やタレコミの把握等ももちろんあるものだと思っていた。しかし、入社した時の実態は全く異なるものであった。
入社した翌日、急に「明日朝の記事、書いてみる?」と言われた。私はいろいろな事情があって当時なるべく記事を書きたいと思っていたため快諾し、すぐに記事を書き始めた。また入社数週間後からほとんどの記事を依頼されることになった。しかし技術面での指導は全くなく、向こうからの情報提供はほとんどなかった。私は日々、その日に提出・成立した法案や、目に見えてわかる政局の動きを淡々と書くだけであった。また、私が書き始める以前から「法案をコピペして提出者などを書いて記事とする」という形式であったため私もそれに倣った。インタビューなどを行って記事の厚みをもたせようとしたこともあったが、「特に求められていない」ということを察してやらなかった。
その後、ほとんどの東洋空想新報の記事は私が書いていた。用事がある日は書いていただけたので労使環境は悪くなかったように思える。しかし私が記事を書いていることが公式発表されることはなく、外から見た場合あたかも笹かま氏が書き続けているようであった。(私が東洋から離れたときも同様に一切発表はない)
東洋空想新報編集長見習いの職を辞した今、東洋での記事書きの経験はもちろん今後の活動に役立つであろうし、不満な点も多かったがそれを反面教師にすることもできるだろう。私は貴重な経験をさせていただいた笹かま氏に大きく感謝している。
空想信州自由報道記者
吉良川駿
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